東京高等裁判所 昭和51年(行コ)84号 判決 1978年4月27日
控訴人 国
訴訟代理人 菊地健治 春田一郎 川満敏一
被控訴人 木本義光こと牛來義光
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠の関係は、被控訴代理人において、当審における<証拠省略>を援用し、控訴代理人において、<証拠省略>を提出し、当審における<証拠省略>を援用したほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 被控訴人が、昭和一九年三月一〇日、当時の中華民国山東省青島特別市江蘇路において、昭和一六年ころから事実上の婚姻関係に在つた牛来義信(以下「父義信」という。)、木本文子(以下「母文子」という。)間の子として出生した事実、父義信及び母文子が昭和一九年四月八日婚姻の届出をした事実、父義信が昭和四二年六月一七日被控訴人に対する認知の届出をした事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 右の事実によれば、被控訴人は、出生の時に法律上の父を有しなかつたのであるから、旧国籍法(明治三二年法律第六六号)第三条の規定によれば、出生の時点において母が日本人であるときは、日本人とされることになるのである。そして、日本の旧領域中朝鮮には同法が施行されなかつたところから、慣習及び条理により、出生の時点において母が朝鮮人としての法的地位を有する者(朝鮮の戸籍に入るべき者)であつた場合には、朝鮮人としての法的地位を取得することになるものと解すべきである。
しかして、もし被控訴人が出生とともに内地人たる身分(内地の戸籍に入るべき地位)を取得して日本の国籍を有するに至つたものであるときは、出生後日本国との平和条約の発効(昭和二七年四月二八日)までの間にその身分を失うことがない限り、右平和条約の発効にかかわりなく、日本の国籍を保有することはいうまでもないが、もし被控訴人が出生とともに朝鮮人である法的地位を取得して日本の国籍を有するに至つたものであるときは、右平和条約発効時においてその身分を保有している限り、右発効と同時に日本の国籍を喪失することになる筋合いである。
そこで、被控訴人が現在日本の国籍を有するか否かを決するためには、まずその出生の時点において、母文子が日本の国籍を有したか否か、内地人たる身分を有したか否かを検討しなければならない(被控訴人が旧国籍法に基づき出生後に生じた事由によつて伝来的に日本の国籍を取得し、又は旧共通法(大正七年法律第三九号)に基づき内地籍・外地籍間の身分の変動によつて内地人たる身分を取得することも可能であるが、これは被控訴人の主張立証しないところである。)。そして、母文子が日本の国籍を有し、又は内地人たる身分を有するためには、生来的にこれを取得するほか、出生後に生じた事由によつてこれを取得することも可能であるが、この点につき、被控訴人は、母文子は、大正一〇年一二月一〇日朝鮮元山において、いずれも内地人の身分を有する父木本平太郎(以下「祖父平太郎」という。)、母木本英江(以下「祖母英江」という。)間の二女として出生したもので、出生により内地人たる身分を取得して日本の国籍を有するに至つたものであるとし、その経緯について次のとおり主張する。
1 祖母英江は母文子を出産した後間もなく病死したため、祖父平太郎は、当時元山在住の朝鮮人李鍾国に母文子の養育を託して満洲方面に出かせぎに行き、じ来消息を絶つた。母文子は、右李鍾国の下で養育されていたが、昭和一〇年ころ祖父平太郎を捜すため満洲の新京に赴いた後、更に中国の青島に渡り、昭和一六年ころ、同地において知り合つた父義信と事実上の婚姻関係に入るに至つた。
2 母文子は、父義信との婚姻届を提出するため戸籍抄本を入手する必要に迫られ、李鍾国にその送付方を依頼したところ、同人は、母文子の戸籍が不明であつたため、便宜上、昭和一九年三月八日、戸主木本平太郎の本籍を朝鮮咸鏡南道安邊郡新茅面新城里一五九番地とし、文子を平太郎、英江の二女とする虚偽の戸籍を編製させ、その戸籍抄本により、母文子は父義信との婚姻の届出を了した。すなわち、右戸籍抄本の記載は、適法な戸籍原本に基づかない内容虚偽のものである。
三 <証拠省略>を総合すれば、母文子は、大正一〇年一二月一〇日朝鮮元山において、祖父平太郎、祖母英江の間の子として出生したが、出生の届出がなされていなかつた事実、その後祖母英江が死亡し、祖父平太郎が渡満して消息を絶つたので、それ以来、母文子は、祖父平太郎の親しく交際していた元山在住の朝鮮人米穀商李鍾国夫婦の下で生活していたが、同人らから実父の存在することを知らされるに至つた事実、その後母文子は、満洲の新京に赴き、更に中国の青島に渡つて父義信と知り合い、昭和一六年ころ同人と事実上の婚姻関係に入り、昭和一九年三月一〇日青島において被控訴人を出産した事実、そのころ母文子は、婚姻の届出に必要な戸籍抄本その他の書類の送付方を元山にいる李鍾国に依頼した事実、咸鏡南道安邊郡新茅面役場において、昭和一九年三月八日付けで本籍を咸鏡南道安邊郡新茅面新域里一五九番地、戸主を性及本貫密陽朴、性名木本平太郎とし、文子を平太郎、英江の二女、生年月日大正一〇年一二月一〇日とする戸籍抄本が作成された事実、そして、父義信、母文子の婚姻届が北海道北見市長あてに送付され、昭和一九年四月八日それが受理された事実(ただし、それが何びとの手によりいかにして郵送されたかは、本件全証拠によつても明らかでない。)は、これを認めることができる。
四 しかしながら、前掲各証拠その他本件証拠のいずれによつても、更に進んで、祖父平太郎、祖母英江の双方若しくはその一方が内地人たる身分を有していたこと、及び前記戸籍抄本が内容虚偽のものであることを直ちに推断することはできないものといわざるを得ない。
この点に関しては、なお諸般の徴表的事実について更に立ち入つた検討を行う必要があるものと考えられる。そこで、以下本件証拠により認め得る事実であつて、祖父平太郎、祖母英江が内地人たる身分を有する者であつたことを一応推認させる資料となり得ると思われるものにつき、隊次評価、検討を加えて行くこととする。
1 原審における<証拠省略>によれば、祖父平太郎は、母文子の出生当時、朝鮮総督府鉄道局管下の工場に就労していたことがうかがわれる。この点に関し、右<証拠省略>は、鉄道局管下の車輪工場は秘密工場であるとし、殊に祖父平太郎は鋳物の木型を作る職工であつたが、この職種に属する朝鮮人は余り見られなかつたとしているし、また、当審における<証拠省略>も、鋳物木型を作る職工には朝鮮人は少なかつたとするが、そもそも、祖父平太郎の具体的な勤務先等に関する前記<証拠省略>は、後記各証拠と対比照会するとき、これを全面的に信用することはできない。
しかも、<証拠省略>によれば、朝鮮総督府鉄道局管下の工場において秘密にするものは何もなかつたこと、職工の採用について内地人、朝鮮人の差別は全くなく、むしろ朝鮮人が多数を占めていたことを認めることができ、したがつて祖父平太郎の属していた職場、職種についての一応の推認から出発して、同人が内地人であつた事実を推認することは到底不可能である。
2 原審における<証拠省略>によれば、李鍾国は、母文子を公立の普通学校に入学させることなく、カトリツク系の元山海星普通学校に入学させた事実、同校には数名の内地人教師がいた事実を認めることができ、同校に入学させたのは、文子が内地人であることを考慮したためであると推量する余地がなくはない。しかしながら、右<証拠省略>によれば、公立の日本人学校に入学するためには戸籍が必要であつたのに反し、海星普通学校に入学するにはこれを必要としなかつたという事実がうかがわれ、前に認定したように母文子については出生の届出がなされていなかつた事実を考え合わせると、単に同人の戸籍がなかつたためその必要がない海星普通学校に入学させることにしたにすぎないとも考えられ、また、右証人盧葉は、同校は朝鮮の学校であり、日本人で同校に入学する者はいなかつたとも供述している。以上によれば、母文子が海星普通学校に在校したという事実は、直ちにこれをもつて同人が内地人であることを推認させる資料とはなし得ない。
3 飜つて、祖父平太郎が母文子の養育を李鍾国に託したことは前記認定のとおりであるが、これは祖父平太郎及び祖母英江には朝鮮に親類や知人がいなかつたためと考えられるので、それは同人らが朝鮮人であることを否定する材料となり(もし朝鮮人であるとすれば、朝鮮のどこかに親類、縁者が存在するはずである。)、更に同人らが内地人であることを推認させる一資料となるのではないかとも考えられる。しかしながら、前掲<証拠省略>によれば、祖父平太郎、祖母英江と李鍾国夫婦とはともに元山に居住し、極めて親しい間柄であつた事実が認められ、したがつて前者にとつて後者が朝鮮における最も親しい知人であつたとしても決して不自然なことではなく、子供の養育を託するにつきより適当な親せきや知人を朝鮮にもたなかつたという事実は、直ちに祖父平太郎、租母英江が内地人であつたことを推認させる資料となり得るものではない。
4 また、母文子が李鍾国夫婦の下で生活し、同人らを両親であると思つていたところ、実父の存在を知るに至つたことは前記認定のとおりであり、前掲<証拠省略>によれば、元山において母文子の周辺に在つた人々は、文子の幼児から同人を内地人たる両親の子であると思つていた事実、また、母文子が李鍾国方の自分の部屋で、内地人の礼服(紋付)、訪問着、お守り及び「父木本平太郎、母英江、娘文子」と記載された紙片を発見し、これが契機となつて李鍾国夫婦から実父の存在を知らされるに至り、父恋しさから新京に赴くことになつた事実、その後青島に渡つて知り合つた父義信も、文子から身の上話を聞かされ、同人を内地人であると信じていた事実をうかがうことができる。
しかしながら、このような母文子をめぐる事情や経緯をもつてしては、いまだ祖父平太郎、祖母英江が内地人としての身分を有する者であつたことまで推認するには足りないものといわなければならない。特にこの点に関連して留意しなければならないのは、母文子の出生に至る経緯に関する証拠のほとんどすべてが、故人である李鍾国の知識に基づくものであること、すなわち、祖父平太郎、祖母英江が李鍾国に身の上を語り、これを聞いた李鍾国が生前その記憶を第三者に伝えた結果、その第三者が李鍾国から聞いた話の記憶を述べているのが証拠となつているにとどまることである。
5 最後に、本件における事実認定上の焦点である母文子の前記戸籍抄本について検討してみることとする。
まず前掲<証拠省略>を総合すれば、李鍾国は元山において、盛大に米穀商を営む資産家であつたこと、同人は、母文子から戸籍抄本等の送付方の依頼を受けたが、当時母文子の戸籍が存在せず、祖父平太郎の本籍地も確知していなかつたこと、そこで李鍾国は、自己の小作地が多数存在し、顔も利く新茅面を選び、同面役場において前示のとおりの戸籍抄本を作成させることにしたことを推認し得るかのようである。
しかしながら、本件全証拠によつても、李鍾国が新茅面役場において本来作成し得ない虚偽の戸籍を編製させ、又は虚偽の戸籍抄本を交付させることができるほどの影響力をもつていた事実及び当時新茅面役場において、このような依頼に応じて本来作成すべからざる文書を作成することがそれほど不自然ではなかつたという特別の事情を認めるには足りず、また、そのような戸籍抄本が何びとの手によりいかにして作成されるに至つたかというその具体的手段方法については、何ら明らかにされるところがないのである。そして、この問題に関する<証拠省略>も、朝鮮における戸籍事務担当者の事務習熟の程度や正確性は昭和の初期に入つてはじめてある程度進んだものとなつたとしているのであつて、本件戸籍抄本の作成が昭和一九年というかなり新しい時期であることを考え合わせると、当時の面役場において、いかに有力者の依頼があるからとはいえ、内容虚偽の、しかも本来朝鮮戸籍に入るべからざる者についての戸籍を編製し、又は戸籍に基づかない虚偽の戸籍抄本を作成することが容易になされ得たとは考えられないところであり、また、前記のとおり、何らかの理由によりそれが可能であつたという特別の事情は明らかにされていないのである。なお、この点に関して留意しなければならないのは、本件戸籍抄本作成の経過に関する証拠は少数である上、それらがいずれも李鍾国の生前の供述に基礎を置くものであり、しかもその内容が極めて抽象的であつて具体性に欠ける点である。
以上述べたところから判断するに、結局李鍾国が母文子について虚偽の戸籍を編製させ、又は戸籍に基づかない虚偽の戸籍抄本を交付させたという事実を推認させるに足りる証拠は存在しないものといわざるを得ない。
なお、この問題に関しては、仮に母文子につき虚偽の戸籍が編製された事実又は戸籍に基づかない虚偽の戸籍抄本が交付された事実を推認し得るとしても、それは本件戸籍抄本中の本籍等の記載が事実に反することを意味するにとどまるのであつて、そのことから、戸主として記載されている祖父平太郎が内地の戸籍に入るべき者(内地人の身分を有する者)であつたことを推断し、あるいは更に進んで、右戸籍抄本に二女として記載されている文子又はその母として記載されている英江につき同様の推断をするのは、著しい論理の飛躍であることを忘れてはならない。換言すれば、仮に何らかの証拠によつて祖父平太郎、祖母英江又は母文子が内地人たる身分を有することが推認されるとした場合において、前記戸籍抄本の存在が右認定の妨げとなるべき性質のものであることは疑いがないから、同抄本が虚偽のものである事実が認められるということは、祖父平太郎、祖母英江又は母文子の身分についての右認定に対する決定的障害が存在しなくなるという消極的な意味を有するにすぎないのである。
これと逆に、右戸籍抄本が虚偽のものであるという事実の推認は、決して祖父平太郎、祖母英江又は母文子が内地人たる身分を有することの推認に導くという関係に立つものではない。更に、祖父平太郎等が内地人たる身分を有することを既定の前提に置いて、内地人でありながら朝鮮戸籍の抄本が作成されているから、それが虚偽のものであると推断することが誤りであり、全く無意味なものであることはいうまでもない。
五 以上逐次検討してきた諸徴表事実から判断するに、これらのうちには、ある程度母文子の両親(祖父平太郎、祖母英江)が生来の日本人(内地人の身分を有する者)であつたことをうかがわせるものが存在することを全く否定することはできないけれども、なおこれらの事実全体を考え合わぜ、更に本件に現れたすべての証拠を総合しても、祖父平太郎、祖母英江の双方又はその一方が内地人たる身分を有する者であつたことを認めるには十分でない。そもそも、本件においては、証明の主題となるべき事柄自体が、特定の人物の出生地、言語、種族、民族というような単純な自然的事実にすぎないものではなく、内地人たる身分を有していたか否か、すなわち内地の戸籍に登載されるべき地位を有していたか否かという、いわば準国籍の帰属ともいうべき法的事実(もちろんこれを分析すれば、血統その他の自然的要素に還元されるところが大きいが、それにとどまらず、身分上の出来事とそれに対する身分法的評価を経たいわば複合的な事実ともいうべきもの)であることを考えると、そのような事実を間接的な諸徴表の積重ねによつて証明しようとすることが極めて困難であることはいうまでもないところであるが、さればといつて、ある程度の蓋然性が存在することをもつて、かかる身分的属性の具備につき証明があつたとすることは許されないものといわざるを得ない。
したがつて、結局母文子の出生時において、同人と祖父平太郎との間に法律上の父子関係があり、かつ、平太郎が内地人たる身分を有していた事実又は母文子の出生時において、同人と祖父平太郎との間に法律上の父子関係がなく、かつ、祖母英江が内地人たる身分を有していた事実を認めることはできないから、母文子が出生により内地人たる身分を取得したものと認めることはできない。更に、母文子がその出生時には内地人たる身分を有していなかつたものとした場合において、同人が被控訴人の出生時までの間に何らかの身分上の変動により内地人たる身分を取得したことを認め得る証拠も存在しない。
しかして、被控訴人の出生時において、同人と父義信との間に法律上の父子関係が存在しなかつたことは前に述べたとおりであるから、被控訴人がその出生とともに内地人たる身分を取得することによつて日本の国籍を有するに至つたものとすることはできず、また、被控訴人に、その出生後内地人たる身分を取得すべき身分上の変動が生じた事実を認めることもできない。
六 以上に述べたところから、いずれにしても、被控訴人が日本の国籍を有することについては、結局十分な証明がないものと判断するほかはない。
よつて、被控訴人が日本の国籍を有することの確認を求める同人の請求は失当として棄却すべきであり、右請求を認容した原判決は不当であるから、これを取り消して被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡本元夫 貞家克己 長久保武)